
こんにちは、ふぉあぐらです。
今日は一度、「脱社畜」という言葉について語らせてください。
―― 会社を辞めずに、人生の主導権を取り戻すという選択
「会社を辞めたいわけじゃない。
でも、このまま全部を会社に預けるのも違う気がする」
そんなモヤモヤを抱えながら、今日も真面目な顔で働いている人は多いと思います。
かつての自分も、まさにそうでした。
この記事では、
**自分なりに定義した「脱社畜とは何か」**について、
感情論ではなく、現実ベースで書いてみようと思います。
自分の中での「脱社畜」の定義

自分にとっての脱社畜とは、
会社に良い顔をし続けることをやめ、
会社依存から少しずつ距離を取っていくこと
です。
会社を今すぐ辞めることでも、
フリーランスになることでもありません。
・会社は生活費を得る場所
・人生のすべてを預ける場所ではない
この距離感を取り戻すこと。
それが、脱社畜の第一歩だと考えています。
今の会社という仕組みへの違和感

多くの会社で、こんな構図が当たり前になっています。
- 給与は横ばい
- 責任と業務量は増える
- 頑張りが必ずしも評価されない
- それでも「頑張れば報われる」と言われる
正直なところ、
「じゃあ会社を辞めればいいじゃないか」と言われても、
そんな勇気は簡単に持てないのが現実です。
生活がある。
家族がいる。
失敗したくない。
だから多くの人は、
不満を抱えながらも会社に留まり続けます。
会社は誰のためにお金を使っているのか

一方で、会社側の動きを冷静に見ると、
少し違った景色が見えてきます。
近年、多くの企業は
- 従業員の給与を大きく上げるより
- 有事に備えた内部留保を積み
- 自社株買いや株主への配当にお金を回す
という選択をしています。
これは悪いことではありません。
企業としては、合理的な判断です。
でも、ここで一つだけ事実があります。
会社は、あなたの人生の責任までは取ってくれない
この前提を忘れてしまうと、
「頑張れば何とかなる」という幻想に縛られ続けてしまいます。
会社での仕事は「契約を遂行しているだけ」

少し冷たい言い方になりますが、
会社で働くというのは、
雇用契約に基づいた業務を遂行しているだけ
とも言えます。
「評価が下がるのが怖い」
「嫌われたら終わりだ」
そう思う気持ちは自然です。
でも現実には、
- 未曽有の危機が起きれば
- 会社が生き残るために
- 個人は簡単に切り離される
という事例が、近年いくらでもあります。
法律上、即クビにはなりにくいとはいえ、
黒字企業でも希望退職を募集する時代です。
会社が合理的なら、個人も合理的でいい。
そう考えるようになりました。
だからこそ選んだ「脱社畜」という戦略

自分が出した結論は、こうです。
- 最低限の仕事はきちんとこなす
- 会社での評価に人生を委ねすぎない
- 万が一に備えて「生き延びる力」を持つ
具体的には、
- 知識を身につける
- 貯金をして投資に回す
- 会社以外からの収入源となる芽(note、ブログ)を育てる
- 自分の力で得られる収入を少しずつ増やす
こうして、
会社からもらう給与に近いものを“自分で作る”。
お金も増え、
経験も増え、
選択肢も増えます。
これこそが、
自分にとっての「脱社畜」です。
ただし、時間がかかるため
即効性はなく、これらを育てていく時間は必要になります。
脱社畜は「反抗」ではなく「備え」

脱社畜は、
- 会社を憎むことでも
- 仕事を投げ出すことでも
- すぐに辞めることでもありません
むしろ、
真面目な顔をしたまま、
静かに力を蓄えること
に近い。
辞めてもいい。
残ってもいい。
そのどちらも選べる状態を作る。
それが、脱社畜という考え方です。
まとめ:会社に人生を捧げないという選択
会社は、あくまで人生の一部。
すべてではありません。
会社に依存しすぎず、
自分の足で立つ準備をする。
それだけで、
働き方の見え方は大きく変わります。
この記事が、
「辞める勇気はないけど、このままは嫌だ」
そんな人の思考整理になれば幸いです。
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