
こんにちは、ふぉあぐらです。
今日は、巷でよく言われる
「努力すれば必ず報われる」という言葉について、
自分自身の実体験を交えながら、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
努力することと、何に向かって努力するかは別だった

「努力は必ず報われる」
そう教えられて育ってきました。
真面目にやること。
人より多く頑張ること。
続けること。
これらはすべて正しい、と疑いもしませんでした。
ただ最近、ようやく一つ気づいたことがあります。
努力することと、何に向かって努力するかは、まったく別だった
ということです。
若い頃は「努力の方向性」という言葉が理解できなかった
正直に言えば、若い頃の自分はそこまで頭が良くなかったと思います。
「努力の方向性が大事だ」
そんなことを言われても、当時はあまりピンときませんでした。
昔、野球のダルビッシュ有選手がこんなことを言っていました。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、
頭を使って練習しないと、普通に嘘をつくよ」
今ならとてもよく分かる言葉ですが、
当時の自分は、この意味をほとんど理解できていませんでした。
それよりも世の中には、こんな話の方が溢れていました。
- ○○年続けて、ようやく芽が出た
- ○○年我慢したから成功した
- 結果が出るまでやめなかった人が勝つ
こうしたストーリーを見聞きするうちに、
努力とは「同じことを何年も続けるもの」
という認識が、自分の中に刷り込まれていったのだと思います。
この時点では、
「方向が合っているか?」
なんて考えは、まったくありませんでした。
むしろ、まだ何も成し遂げていない段階で方向性を変えることは
「ブレてしまうのではないか」という恐怖すらありました。
ある程度の時間が経ち、
結果が出ない期間を長く過ごして、
ようやく「もしかして方向が違うのでは?」と考えられるようになります。
これは、今振り返ってみて初めて分かることです。
毎日10km歩いても、健康状態は悪化していた
努力の方向性について、
最初に強く違和感を覚えたのは、健康の話でした。
健康診断で、ある疾患を指摘されたことがあります。
これはまずい、と思い、
「自分なりにできる最大限の努力」を選びました。
それが、ウォーキングです。
- 毎日
- 朝夕の2回
- 合計10km
これを、1年間ほぼ欠かさず続けました。
体重は落ちました。
歩数も距離も、十分すぎるほどこなしていました。
ところが――
肝心の疾患は、改善するどころか数値が悪化していたのです。
「努力が足りないのか?」と本気で悩んだ
そのとき、真面目にこう考えました。
- まだ努力が足りないのではないか
- もっと量を増やさないといけないのではないか
- 自分はまだ甘いのではないか
今思えば少し極端ですが、
当時は本気で悩んでいました。
「これだけやってダメなら、もっとやるしかない」
そう思い、実際に量を増やす選択をしてしまいました。
「やりすぎではないか?」という疑問
ただ、2年近く続けても改善は見られず、結果も出ませんでした。
そんなあるとき、ふと疑問が浮かびます。
もしかして、やりすぎなのではないか?
ウォーキングは確かに体に良い。
しかし、マラソン選手でさえ、
毎日ただ走り続けているわけではありません。
- 休養日を入れる
- 負荷を調整する
- 回復を優先する
「たかがウォーキングだから大丈夫」
そう自分で勝手に解釈していただけだったのではないか。
調べてみると、
自分がやっていた1日10km・約1時間半のウォーキングは、
やはりやりすぎで、肝臓への負担も大きくなる可能性があることが分かりました。
そこで、一度頻度を下げてみることにしました。
量ではなく、やり方を見直すことにしたのです。
これが、自分にとって
「努力の向きを変える」という初めての体験でした。
努力はアクセルであって、ハンドルではない
この経験を通して、強く思いました。
努力は大切です。
ただし、努力はアクセルであって、ハンドルではありません。
方向を決めずに踏み続ければ、
どこかで必ず無理が出ます。
体重が減ったという「分かりやすい成果」に満足して、
本当に見るべき数値や体の声を無視していたのは、
間違いなく自分でした。
正直に言うと、気づくまでに何年もかかった
ここまで書いてきて偉そうですが、
これはすべて自分自身がやってきたことでもあります。
3年近く、このウォーキング習慣を
「正しい努力」だと信じて続けていました。
努力することが正しいと信じ、
その向きを疑わずに、
何年も時間を使ってしまったのです。
今振り返れば、
「もっと早く、別の可能性を試せたのではないか」
と思うこともあります。
ただ、当時の自分には
それ以外の選択肢が見えていませんでした。
だからこれは後悔というより、反省です。
同じ場所で立ち止まっている人がいるなら、
少しだけ視野を広げるきっかけになればいいと思っています。
会社での努力も、実は同じ構造にある

この話は、会社員の働き方にも当てはまると感じています。
- 残業すれば評価される
- 成果を出せば昇進する
- 頑張れば給料は上がる
そう信じて、努力だけを続けてしまう。
しかし現実には、
- 会社の規模
- 扱っている案件の大きさ
- そもそもの売上
- 人件費や家賃などの固定費
- 年功序列社会の崩壊
こうした構造があります。
売上が伸びない中で、
全員の給料を上げ続けるのは難しい。
一度上げた給料を下げるのも、経営的には簡単ではありません。
物価高もあり、
いつコロナのような不況が再び来るかも分からない。
経営する側にとっても、先を見通すのは簡単ではないのが現実です。
つまり、
どれだけ頑張っても報われにくい構造
というものは、確実に存在します。
努力そのものは素晴らしい。でも…
会社で努力すること自体は、間違っていません。
むしろ、誠実で立派な姿勢だと思います。
ただし、
自分にメリットが返ってくる構造になっていなければ、
それは自己満足で終わってしまう可能性がある。
ウォーキングをやりすぎて体を壊すのと、
本質的には同じことだと思います。
最後に:努力をやめる必要はない。向きを変えるだけだ
ここまで、
「努力すること」と「何に向かって努力するかは別」という話をしてきました。
努力をやめろ、と言いたいわけではありません。
ただ、
- その努力はどこに向かっているのか
- 何をもって成功とするのか
- 本当に自分に返ってくるのか
これを一度立ち止まって考えることは、
決して逃げではありません。
むしろ、リスク管理だと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。