
こんにちは、ふぉあぐらです。
今年の正月休みは、特別な予定があったわけではありません。
ただ、久しぶりに「何も起きない時間」を過ごせるはずでした。
仕事から少し距離を置き、
お酒を飲むかどうかも自分で決めて、
夜はしっかり眠る。
そんな当たり前のことを、
久々に当たり前として過ごせるはずだったのです。
正月休みの夜、仕事の先輩からの着信

そんな中、ふとスマホを見ると、
仕事の先輩から着信が入っていることに気づきました。
時刻は、1月1日の夜中。
この瞬間、
「あ、何か起きたな」
と直感的にわかってしまった自分がいました。
電話の内容は、
夜間処理が落ちたというもの。
再実行をかけた結果、
大事には至らず、処理自体はなんとか完了しました。
ですが、その瞬間から、
僕の正月休みは実質的に終わりました。
「休み」なのに、心は仕事待機状態

システム的には解決している。
論理的には、もう何もすることはない。
それでも、
- いつまた連絡が来るかわからない
- 深く眠ってしまうのが怖い
- お酒を飲む気になれない
気がつくと、
心は完全に仕事側に引っ張られていました。
「休み」であるはずなのに、
頭のどこかで常に
“待機状態” が解除されない。
これは、体力の問題ではなく、
精神的な拘束だと感じました。
夜間トラブルは、5年ぶりだった

冷静に考えると、
夜間処理が落ちたのは 5年ぶり です。
頻繁に起きているわけでもありませんし、
「たまたま」と言ってしまえばそれまでの話です。
ですが、今回強く感じたのは、
頻度の問題ではないということでした。
たった一度起きただけで、
- 飲まないほうがいい
- 熟睡しないほうがいい
- 処理が終わるまで待たないと不安
そんな防衛反応が、
無意識のうちに働いてしまっている。
この感覚に、
自分でも驚くほどの違和感を覚えました。
仕事が、生活そのものを侵食していた

改めて考えてみると、
問題は「夜間処理が落ちたこと」ではありません。
仕事の状況が、
日常生活にまで影響を及ぼしていること。
- 夜中まで外で遊べない
- お酒を飲む判断が仕事基準になる
- 何も起きていなくても緊張が抜けない
これは単なる忙しさではなく、
生活の主導権が仕事に移っている状態だと感じました。
もっと深刻だった、人生イベントへの影響

さらに考えを進めていくと、
一番重かったのは、ここでした。
本来、人が仕事の合間に自然と経験していくはずの、
- 恋愛
- 結婚
- 誰かと人生を共有する時間
- 長期の旅行の計画
これらを、
無意識に避ける思考が働いていることに気づいたのです。
「この仕事を続けている限り、
誰かと深く関わるのは難しいかもしれない」
そんな防衛本能が、
静かに、しかし確実に働いていました。
「耐えれば給料がもらえる」という期待が消えた瞬間

正直な話、これまではどこかで、
「耐えれば、一定の給与は発生する」
「生活としてはマシな選択かもしれない」
そう考えていた部分もありました。
ですが今回の出来事で、
その期待は一気に消えました。
半年前、
所属会社の営業さんに自分の意思を伝えていたこと。
「このままでは続けられないかもしれない」
あのときの判断は、
間違っていなかった。
そう確信する出来事でもありました。
仕事に人生の主導権を奪われるプロジェクト

もちろん、
この先どうなるかはわかりません。
状況が改善する可能性もあれば、
別の選択肢が出てくる可能性もあります。
ただ一つ、
はっきりしたことがあります。
このプロジェクトは、
人生の主導権を仕事に奪われやすい構造を持っている。
それを、今回の正月の出来事で、
はっきりと理解し始めました。
仕事は人生を支えるもの。縛るものではない

仕事は大切です。
責任もありますし、簡単に投げ出せるものではありません。
ですが、
仕事のために人生が制限されていく状態
が当たり前になってしまったら、
一度立ち止まって考える必要がある。
今回の正月の出来事は、
僕にとって、そのきっかけでした。
同じように悩んでいる人へ
もし今、
- 休みでも気が休まらない
- 仕事が生活の基準になっている
- 人生のイベントを無意識に後回しにしている
そんな感覚があるなら、
それは気のせいではありません。
仕事は、
人生を成立させるための手段であって、
人生そのものではない。
この線が曖昧になってきたとき、
一度立ち止まって考えることは、
決して間違いではないと思っています。