
こんにちは、ふぉあぐらです。
ウォーキングをしているとき、ふと気づいたことがありました。
この資本主義社会の中では、経済は人々の消費によって成長しているということです。
つまり、私たちが日々お金を使うことが、国の経済を支えている。
しかし同時に、こうも思いました。
もしも全員が「節約と投資」に目覚め、消費をやめてしまったら、
この経済はどうなるのだろうか――と。
消費で支えられている「経済という生き物」

経済というのは、人々の消費で呼吸している生き物のようなものです。
食事をし、服を買い、スマホを使い、旅行をする。
この一つひとつの支出が企業の売上となり、
企業の利益が国の税収となって、社会が回っていく。
GDPの約6割が「個人消費」で構成されている日本では、
人々が財布のひもを締めると、企業も元気を失い、
結果として給与や雇用にも影響が出てしまいます。
だから国は、
「お金は貯めずに使いましょう」
「投資は危ないからやめましょう」
「安定した仕事に就きましょう」
と、子どものころから教えてきた。
それは“間違い”ではなく、経済を維持するための設計だったのです。
それでも、気づいた人から静かに動く
けれど、今の時代はもう違います。
物価が上がり、給料が上がらず、
貯金だけでは資産が減っていく現実を、
多くの人が肌で感じ始めている。
だからこそ、
「消費を減らし、投資に回す」という選択が生まれる。
でもこれは、全員がやってはいけない行動でもある。
なぜなら、全員が節約を始めたら、経済は止まってしまうからです。
この矛盾の中で、
「気づいた人から静かに進めていく」ことが、
最も現実的な道なのだと思います。
常識のウソに気づくということ

この道を歩くには、3つの覚悟が必要です。
- 人と違うことをする勇気
周囲が消費を楽しんでいる中で、自分は投資に回す決断。 - 今までの常識がウソだったと知る痛み
「正社員=安定」「貯金=安心」という信仰を手放す勇気。 - 地味であることを受け入れる強さ
見栄を張らず、静かに積み上げる姿勢。
気づいた人ほど、派手な人生から遠ざかる。
でもそれは「退屈」ではなく、「自分の軸で生きる自由」なんです。
投資家は「消費者のエネルギー」で動いている

実は、投資というのは“誰かの消費の上”に成り立っています。
新しい商品を買う人、
流行を追いかける人、
広告を見て行動する人。
そうした消費者のエネルギーが企業の利益を生み、
その利益が投資家への配当や株価上昇として還元される。
つまり、消費者と投資家は敵ではなく、共生関係にあるのです。
投資をしていない人がいるからこそ、
投資をしている人が“自動的に動くエスカレーター”に乗れる。
この社会は、そうした**非対称構造(アシンメトリー)**の上で動いています。
経済の波に飲まれず、波の上に立つ
「浪費しない」という生き方は、
資本主義を否定することではありません。
むしろ、
“資本主義という波を理解して、うまく乗ること”
これが成熟した生き方だと思います。
派手な成功ではなく、
静かな安定を求める人が少しずつ増えている今、
それは決してマイノリティではなくなりつつあります。
消費で経済を支える人がいて、
その波に乗って仕組みを理解する人がいる。
どちらが正しいという話ではなく、
役割が違うだけなんです。
終わりに:静かに強く生きるという選択

人と違うことをして、
常識を疑い、
地味にコツコツと積み上げていく。
それは簡単なことではありません。
けれど、気づいた人からそのステージに進める。
資本主義のエスカレーターの上で、
静かに、しかし確実に前に進んでいく。
派手な拍手はなくても、
その足取りこそが「自由への道」なのだと思います。