社会構造と生存戦略

給与に依存していたと気づいた日。肩書きと給料が消えたあとに残ったもの

こんにちは、ふぉあぐらです。

今回は「給与依存」というテーマについて書きます。

少し前に、YouTubeで働き方についての動画を見ていたとき、
ある言葉に思わず手が止まりました。

本当の安心は、会社でも学歴でも肩書でもない。
自分の脳と体にしみついた実力からしか生まれない。
もし、今の給与が明日なくなったら、自分には何が残るのか。

この問いは、
過去に一度、給与と肩書きを同時に失った経験がある自分に、
かなり強く刺さりました。

今回はそのときに感じた
「給与に依存することの怖さ」について、
できるだけ冷静に整理してみようと思います。

給与依存は、一番気づきにくい依存

多くの人は、
「依存」という言葉を聞くと、
精神的な弱さや甘えを想像するかもしれません。

でも、給与依存は少し違います。

  • 毎月決まった日に振り込まれる
  • 生活を実際に支えてくれる
  • 数字として目に見える

だからこそ、
依存している自覚を持ちにくい。

学歴や肩書きは、
なくなってもすぐ困るわけではありません。

でも給与は違う。

止まった瞬間に、生活が止まる。

大手企業ほど、給与依存は深くなる

大手企業に勤めていると、
それなりに高い給与をもらえることが多いです。

すると自然に、

  • 住宅ローン
  • 家族設計
  • 老後資金

すべてを今の給与水準を前提に考えるようになります。

これは油断でも慢心でもなく、
むしろ「ちゃんと将来を考えている人」ほど
陥りやすい構造だと思います。

気づかないうちに、

「今の給与が続くこと」
=人生設計の前提条件

になってしまう。

給与が高いこと自体が問題なのではない

ここで誤解してほしくないのは、
高い給与をもらうこと自体は悪くないということです。

問題は、

  • その給与を他で再現できるか
  • 自分一人で1円でも稼げるか

という点です。

給与が高くても、

  • 会社がなくなったら終わり
  • ポジションが消えたら何も残らない

のであれば、それは
かなり危うい安心だと思います。

給与は「実力」ではなく「結果」

一度、給与と肩書きを失ってみて、
強く感じたことがあります。

それは、

給与は実力ではなく、結果にすぎない

ということです。

  • 会社の看板
  • 配属された部署
  • 上司との相性
  • 景気

こうした要素が組み合わさって、
たまたま成立している数字。

つまり、
給与は借り物なんですよね。

持ち出せない。

給与が消えたときに突きつけられる問い

給与がなくなったとき、
頭に浮かぶのは、すごくシンプルな問いです。

「自分は、今なにができる人間なんだろう?」

  • 学歴は過去の話
  • 実績も会社の中での話

残るのは、

  • 今できること
  • 今出せる価値

それだけでした。

学校教育と給与依存の相性の悪さ

学校では、

  • 正解を出すこと
  • 早く解くこと

が評価されます。

でも社会では、

  • 正解がない
  • 答えは後からしか分からない
  • リスクを取らないと前に進めない

こうした場面の方が圧倒的に多い。

それなのに、

学歴が高い=仕事ができるはず

という思い込みだけが残る。

このズレが、
給与依存をより強固にしている気がします。

依存が怖い本当の理由

依存が怖いのは、
依存先がなくなったときに
自分の中に何も移植できないことです。

  • 給与は移植できない
  • 肩書きも移植できない
  • 会社の看板も持ち出せない

持ち出せるのは、
脳と体に染みついたものだけ。

本当の安心は、静かに積み上がる

会社にいることは悪くありません。
給与をもらうことも、もちろん必要です。

ただ、

  • 給与だけ
  • 会社だけ

に依存した状態は、
いつでも崩れる可能性があります。

だからこそ、

  • 小さく
  • 地味に
  • 評価されなくても

「正解のないこと」を続ける意味がある。

それが、
本当の意味での安心につながると、
今は思っています。

まとめ

高い給与は安心をくれます。
でもそれは、「続く限り」の話です。

給与が止まったときに残るもの。
それこそが、今の自分の実力。

この事実に一度向き合っておくだけでも、
依存の形は、少し変わる気がしています。

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