
こんにちは、ふぉあぐらです。
今日は、真面目ほど脱社畜が遅れる理由について語りたいと思います。
結論:―― それは「期待」を手放せなかったから
「脱社畜」や「会社依存を減らす」という言葉を使い始めたのは最近ですが、
正直に言うと、自分自身も気づくのは遅かったと思っています。
もっと早く違和感に気づけたんじゃないか。
もっと前から準備できたんじゃないか。
そう思うからこそ、
いま同じ場所にいる人に向けて、この話を書いています。
自分自身も「遅れた側」だった
脱社畜という考え方にたどり着いた今だから言えますが、
当時の自分は、
- 会社に違和感を持ちながら
- 何も変えられず
- ズルズルと時間だけが過ぎていった
まさに、
真面目に働いてきたがゆえに、動けなかった側でした。
「今さら動くのは怖い」
「ここまで頑張ってきたのに、無駄にしたくない」
そうやって、
自分を納得させ続けていたのだと思います。
脱社畜が遅れる本当の理由は「会社への期待」

なぜ、真面目な人ほど脱社畜が遅れるのか。
自分なりに考えた結論は、これです。
会社に過度な期待をしてしまっているから
今は給与が上がらない。
昇給もない。
ボーナスも増えない。
それでも心のどこかで、
- 「いつか評価されるかもしれない」
- 「ここまで頑張ってきたんだから」
- 「会社も自分を見捨てないはず」
そんな期待を捨てきれずにいる。
宝くじと同じ構造にハマっている

この状態は、
宝くじに例えると分かりやすいと思っています。
宝くじは、
一等前後賞で人生が変わる可能性がある。
確率は極端に低いのに、
- 買い続けていれば
- いつか当たるかもしれない
そう思ってしまう。
しかも、
- 実際の当選確率は計算しない
- 「当たるかもしれない」という感情を過大評価する
これ、
会社への期待とよく似ています。
給与は簡単には上がらない構造になっている
現実的な話をすると、
給与は一度上げてしまうと、簡単には下げられません。
会社側から見れば、
- 人件費は固定費
- 一度増やすと戻せない
- 特別な事情がない限り下げられない
そんな中で、
- 転職が当たり前の時代
- 上げたとしても、他社へ行ってしまう可能性が高い
となれば、
不満が出ていないなら、無理に上げる理由はない
と判断するのは、
ある意味、合理的です。
会社が悪いわけではない
ここで誤解してほしくないのは、
会社が悪者だと言いたいわけではないということ。
時代が変わり、
- 終身雇用が崩れ
- 年功序列も機能しなくなり
- 企業も合理的に生き残る判断をする
そうなっただけ。
それなのに、
「会社は従業員を家族だと思っていないのか!」
と、
昔の価値観を押し付けるのは論点がズレている。
会社は会社。
個人は個人。
その前提に立たない限り、
話は前に進みません。
真面目さは、評価されるとは限らない

今の時代、
- 真面目だから評価される
- 我慢すれば報われる
そんな保証は、どこにもありません。
むしろ、
真面目さは、都合よく使われることもある
この現実を、
そろそろ認めないといけない。
これは、
自分自身が一番受け入れるのに時間がかかった部分でもあります。
脱社畜は「裏切り」ではない
脱社畜は、
- 会社を裏切ることでも
- 手を抜くことでも
- 不真面目になることでもありません
会社に期待しすぎないようにすること
それだけです。
最低限の仕事はきちんとやる。
でも、人生の保険を会社一本にしない。
その判断が、
結果的に自分を守ることになります。
まとめ:期待を手放したとき、選択肢が増える
真面目に働いてきた人ほど、
会社に期待してしまう。
でもその期待は、
- 優しさではなく
- 希望でもなく
- 単なる思い込み
だったのかもしれません。
期待を手放したとき、
初めて冷静に、
- 今の立ち位置
- 取れる選択肢
- 備えるべきこと
が見えてきます。
脱社畜が遅れたからといって、
手遅れではありません。
気づいた「今」からでいい。
それが、真面目に生きてきた人のための、現実的な選択だと思います。