
こんにちは、ふぉあぐらです
トラブルの原因が判明し、
夜の処理で何も問題がなければ、ひとまずは大丈夫。
そう思える状態にはなりました。
その時の記事はこちら
正直に言えば、技術的にはそこまで難しい話ではありませんでした。
原因の特定も、思っていた以上に早かった。
表面的には「落ち着いた」と言っていい状況です。
それでも、不思議なことに心はまったく落ち着いていませんでした。
今回の出来事で一番強く残ったのは、
システムトラブルそのものではなく、
夜を安心して過ごせない人生が当たり前になっていた自分への違和感でした。
原因はPGの不備ではなく「お客様側の入力ミス」
今回のトラブルの直接的な原因は、
プログラムの致命的なバグではありませんでした。
原因となったのは、
お客様側のデータ入力の違い。
もちろん、
入力値チェックの仕組みを入れていなかったこちら側にも問題はあります。
「想定外の入力」に耐えられない設計だった、という意味では
完全に無関係とは言えません。
ただ、それでも思ったのです。
たった一つの予想外の入力ミスで、
夜を不安と緊張の中で過ごすことになるのか。
原因が分かっても、夜は戻ってきません。
安心して眠れる保証もない。
「今日は何も起きないだろうか」と考えながら時間が過ぎていく。
この感覚は、
障害対応や夜間対応を経験した人でなければ、
なかなか伝わらないものだと思います。
正常な日常に戻ると、つらさは簡単に風化する
今回、強く思ったことがあります。
この問題は、
いつもの「何も起きない日常」に戻ってしまったら、
間違いなく風化する、ということです。
トラブルが解消されれば、
人は驚くほど簡単に忘れます。
「まあ、終わったし」
「結果的には大丈夫だったし」
そうやって、
夜に感じた不安や緊張、息苦しさは、
なかったことにされていく。
だからこそ、
この感覚が残っているうちに、
記事として残しておこうと思いました。
これは誰かを批判するための記事ではありません。
自分自身が、確かに感じた違和感を
記録しておくための文章です。
夜を自由に使えることは、当たり前じゃなかった

今回の出来事を通して、
改めて強く感じたことがあります。
それは、
- 夜遅くまでデートができること
- 気にせず飲みに行けること
- 外出や旅行の予定を、何も考えずに入れられること
これらは、
決して当たり前ではないということです。
夜間対応や障害対応が前提にあると、
どうしても考えてしまいます。
「今日はお酒を飲まない方がいいかな」
「何かあったら対応できないし」
「予定を入れない方が無難だな」
こうして、本来は自分の人生の時間であるはずの夜が、
仕事の不安によって先回りで制限されていく。
誰かに強制されているわけではありません。
でも、
仕事の役割が、自然と行動を縛っていく構造がある。
この状態を、
「慣れ」で済ませていいのだろうか。
そんな疑問が、今回確信に変わりました。
「問題が起きなければいい」という前提への違和感

よく考えてみると、
この働き方は常にこうした前提の上に成り立っています。
「問題が起きなければ大丈夫」
「何も起きないことが前提」
でもその裏側では、
何かが起きるかもしれない夜を
ずっと抱え続けている。
問題が起きなかった日は評価されず、
起きた瞬間にすべてがひっくり返る。
この前提の上で、
人生の時間を預け続けることが、
本当に健全なのか。
感情的に仕事を辞めたいわけではありません。
今すぐ答えを出す話でもありません。
ただ、
「この状態を当たり前として受け入れ続ける」ことに
はっきりと疑問を持ちました。
まとめ:違和感に気づけたこと自体が、意味のある夜だった

今回のトラブルは、
一旦は収束すると思われます。
技術的には落ち着いた。
表面上は、いつもの日常に戻りつつあります。
それでも、
夜を安心して過ごせない人生が
当たり前ではないと気づけたことは、
自分にとって大きな意味がありました。
違和感は、
無理に消すものではなく、
次の選択を考えるためのサインなのかもしれません。
この夜に感じたことを、
忘れないために、ここに残しておきます。